日本のウイスキー史を竹鶴政孝を中心にまとめてみる

ウイスキー

NHKの連続テレビ小説『マッサン』でも紹介された竹鶴政孝、知っている人も多いかもしれませんがニッカウヰスキーの創業者です。日本のウイスキーの歴史を語る上で絶対に外せないこの人を軸にしながら日本のウイスキー史をまとめてみます。

摂津酒造時代にスコットランド留学

竹鶴政孝は本家が酒造業をしていたことから大阪高等工業学校の醸造科で学び、摂津酒造に就職。そこでスコットランドへ留学する機会に恵まれる。ロングモーン蒸留所でスコッチウイスキーの製造法について学び、帰国。帰国後早速ウイスキー蒸留所を建設できるかと思うと、ゴーサインがなかなか出ない。

というのもウイスキーは蒸留が始まってから最初の製品が出るまで最低3年はかかる代物。3年間金を産まない、しかし蒸留し続け貯蔵庫も持たなければならないウイスキー作りはよほどの財力と覚悟がなければ始めることのできない分野だった。

鳥井信治郎の寿屋へ

その頃鳥井信治郎の寿屋(現サントリー)では赤玉ポートワインを完成させ次の一手としてウイスキー製造を考えていた。実際に外国人技師を探すもなかなか見つからずそのうちに竹鶴政孝のことを聞きつけヘッドハンティング。

スコットランドの気候に近い北海道に理想の蒸留所を作りたい竹鶴とビジネス的に現実路線を考えてアクセスの良さを求める鳥井は最終的に山崎の地に蒸留所を建設することにする。1923年。

独立して余市でニッカ創業

山崎蒸留所を建設し技師も育て終わると自身の理想を求めて北海道余市の地で大日本果汁(現ニッカ)を創業。時は1934年。

当初は余市のリンゴをジュースに加工し収入を得ながらウイスキーの蒸留を続ける。

時代の先を行く思想

山崎蒸留所時代からちょくちょくエピソードとして出てくるのが、とにかく一流の製品を求めるあまり、時のニーズに合わず理解されない商品エピソードです。笑

山崎蒸留所で最初に発売した「サントリー白札」はピート香が日本人のテイストに合わず売れ行きはさっぱり。

大日本果汁のリンゴジュースは果汁100%にこだわり他社の5倍の値段で多くは売れず。しかも果汁100%ゆえに製品が濁ることがあり、そのせいで返品が相次ぐとか。

戦後すぐに低湿な3級ウイスキーが製造された際も当初は3級品は作らないと突っぱねた竹鶴だったが、出資者に説得されて作ることに。その時にもあえて原酒を当時の酒税法上の上限いっぱいの5%まで入れさせるなど品質に徹底する姿勢を見せる。

今の時代では喜ばれそうな本格路線・高品質商品を生み出したものの、時代の理解は得られなかったものも多数。

そんな竹鶴でしたが、ウイスキーへの愛情を貫き、サントリーよりも先に第二蒸留所を建設します。

宮城峡建設

宮城峡創業は1969年。そのきっかけはある川の水でブラックニッカの水割りを作ったところ納得のいく味になったからとか。

それに遅れること3年。1972年、サントリーも知多に第二蒸留所を建設。翌年、白州に第三蒸留所を建設。

複数の蒸留所を持つことで複雑な味わいのブレンデッドウイスキーの製造が可能になる。ニッカの有名なブレンデッドウイスキーはTHE NIKKAなど、サントリーは響など。

このように原酒作りの幅が広がっていくことで商品自体の幅も広げていける。今後も広がる可能性を見ていけたら楽しそうです。

なお、ウイスキーは最近のハイボールブームに加え小説化・ドラマ化の影響でウイスキー原酒が足りなくなるほど人気が出てきていています。サントリーもニッカも年数表記のないノンエイジの商品が増え、10年物や12年物などが終売されてしまうのは残念ですがこの人気とともにさらに繁栄していき、原酒も増産されてまた10年物などが復活していくことを切に願います!

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